織りとは、糸を縦横に組み合わせてつくる技法である。織りによってつくられた布地を織物、あるいは布帛と呼ぶ。旧石器時代には織物をした痕跡が見つかっており、非常に歴史のある技法である。
経糸を上下に分けて広げ(開口)、その広がった間に緯糸を入れた後(横入れ)、緯糸を隙間なく並べる(筬打ち)ことで織物が作れる。
(出典://www.tcmit.org/reading/kids/fiber05-a.html)
三原組織といわれる三種の織り方があり、それぞれ平織り、綾織り、繻子織りと言う。
籐の籠などは製作技法としては織りと同じだが、「籠を編む」と表現される。
糸の段階で染色する技法を先染め、織った後に染色する技法を後染めと呼ぶ。
織物生産を効率化するために、人類は様々な発明を行ってきた。以下はその一例である。
横木に経糸を下げ下端に錘(おもり)をつけて張力とし、上から下へと織っていくものであるが、機の高さに制約され十分な長さを織ることができない。ヨーロッパ各地と西アジア地域に改良したものがみられる。
(出典:https://kotobank.jp/word/%E7%B9%94%E6%A9%9F-80485)
経糸を伸張する2本の棒のうち1本を織る人の腰に固定するタイプ。古代から世界各地で使われており、様々な特産品を生んだ。沖縄でも明治期まで使用されていた。
堅機で長い布を織ろうとすると立て木をそれにあわせて高くしなければならず、空間的な制約が大きい。水平機では左右に長くすればよかった。その後布巻き取り用と経糸固定用が生まれ、織機の大きさに布の長さが制限されることがなくなった。これを地機といい、文字通り地面近くで作業をする。
大和機、京機ともいい、伝統的な織物においては現在でも使用されている。日本へは5世紀に中国から伝わったが、当初は政府所有のものであり、その後も貴族が専有するなど一般への普及は遅れた。
開口などの作業をペダルを踏むことで行えるようになり、作業が非常に効率化した。
上記の織機は全て人力で行うものだったが、1785年にイギリス人エドモンド・カートライトが発明したパワールームは電力などの動力を用いた。飛躍的な効率化を果たし、産業革命を手動するまでになった。
1801年、ジョゼフ・マリー・ジャカールによって発明された、パンチカードを用いてパターン通りの織物をつくる織機である。最初は人力だったが後に力織機となった。パンチカードの仕組みはコンピュータの祖先にも応用され、後にジャカード織機もパンチカードからコンピュータ制御へと再帰的に進化する。
経糸が切れると自動停止し、緯糸が切れると自動補給する織機である。1894年ごろ管替式がアメリカで、1926年杼替式が日本で開発された。開発したのはトヨタグループの創始者である豊田佐吉。
綿織物
絹織物
その他